2024年玉城政権を振り返る❗️沖縄県の闇5
玉城デニー知事を支持する県政与党が半数を割り大敗した。
知事と県議会が一体となって米軍普天間飛行場(宜野湾市)
の名護市辺野古への移設計画に反対してきた構図が崩れ
玉城氏は苦境に立たされる。
立憲民主や共産、社民などの県政与党は20議席と4減。
一方、自民や公明などの県政野党は4増の28議席となり
自公は16年ぶりに県議会の多数派勢力となった。
自民県連幹部も「こんなことがあるのか」と驚く大勝だった。
なぜ、県政与党は負けたのか。
知事周辺は「『辺野古反対』のメッセージが届きにくくなった」
と話す。
県政を揺るがす「地殻変動」だ―。
六月十六日に投開票された沖縄県議選
(定数四十八)の結果を評し、ある自民党沖縄県連関係者はこうつぶやいた。
今回の選挙で、玉城デニー知事を支持する共産
立憲民主両党などの県政与党は過半数を割り込む二十議席
(改選前二十四議席)にとどまり、自民党など不支持派が
二十八議席(同二十四議席)と躍進した。
派閥政治資金パーティー収入不記載事件の影響をはじめ
政権与党である自民、公明両党に逆風が吹く中、公認候補全員が当選。
一方で、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の
名護市辺野古への移設反対を打ち出した故・翁長雄志前知事の下に結集し
後継の玉城氏も支えていた「オール沖縄」勢力は
翁長氏が県知事に初当選した平成二十六年以来、県議会での過半数を初めて失った。
「私の県政運営、私の政治理念というものが
この結果でどう変わるかといえば、それほど変化することはない」
知事派敗退の大勢が判明した十七日午前〇時半
知事公舎に集まった記者団を前に、玉城氏はこう語った。
同日午後、県庁で改めて取材に応じ、「辺野古に反対の民意は弱まってない」
と強調してみせたが、表情は硬かった。
無理もない。結果はどうみても知事派の大敗である。
玉城氏を支持する「オール沖縄」勢力には悲壮感すら漂っていた。
「オール沖縄」幹部は「われわれが民意から離れているということではない」
と語るが、大きな曲がり角に差し掛かっていることは間違いない。
翁長県政以来、「辺野古移設反対」は沖縄県側の一貫した姿勢だったが
その拠り所は「民意」だった。
翁長氏が初当選した二十六年以降、三度の知事選では
いずれも移設反対派が当選し、三十一年二月の県民投票でも反対が多数を占めていた。
移設工事を巡る国との法廷闘争では、最高裁で県の敗訴が確定した後も
玉城氏は「民意」を盾に司法の判断に背を向け続けた。
法に則って行われなければならない行政が滞り、違法な状態が放置されてきた。
しかし、今回の選挙で、「民意」という大きな後ろ盾を失うこととなった。
「沖縄の保守が革新を包みこむ」(翁長氏)などとして
自民系から共産系までが同居していた「オール沖縄」だが
近年、退潮傾向が指摘されていた。
翁長氏が辺野古問題以外は「腹八分、腹六分」(で折り合う)
と提唱し結集した政治勢力は、共産主導の革新色が強まっていったのだ。有力メンバーだった保守系議員や財界人が離脱するなど求心力は低下していた。
今回の県議選は、それが浮き彫りになった形だ。
過半数を割った以上、もはや「オール沖縄」とはいえない状況だろう。
現県政への不安と失望
「今は基地問題どころではない、というのが生
活者の感覚だろう。県政与党(知事派)が県民の期待に応えられなかった」
あるオール沖縄関係者は、選挙を振り返りこう肩を落とした。
観光資源が豊富な沖縄だが、十分な振興策や景気浮揚策が図られず
地元財界関係者からは玉城県政への失望の声が高まっていた。
実際、三十年に県知事に就任した玉城氏が米軍基地問題に
精力を傾け国と対立を深める中、足元の地域経済は疲弊していた。
沖縄振興予算は三年連続で減額が続き、一人当たりの県民所得も
全国最低水準を脱せず、子供の貧困の問題も深刻な状態のままである。
県議選は二期目の玉城県政に対する中間評価でもある。
県政与党への厳しい結果は、基地問題に重きを置くあまり
物価高騰対策など県民の暮らしに直結する問題がなおざりになっていた
という県民の判断と言えよう。
問題は経済だけではない。
沖縄を取り巻く安保環境が厳しさを増す中
現県政は、県民の生命と財産を守るための姿勢が心もとないと言わざるを得なかった。
尖閣諸島(石垣市)では中国海警船が領海侵入を繰り返している。
にもかかわらず、令和五年七月、中国を訪問した玉城氏は
李強首相との会談で、尖閣に一切触れなかった。
「話に出なかったので、私からあえて言及することもなかった」
というのだから閉口する。
台湾有事などに備えて政府が整備する「特定利用空港・港湾」
の指定についても、県は慎重姿勢だ。
自衛隊基地すら「攻撃目標になる」(玉城氏)として整備に否定的である。
そのため、県管理の空港・港湾施設は指定対象から外れ
沖縄県内では国が管理する那覇空港と石垣市が管理する石垣港
の二カ所のみとなった経緯がある。
玉城氏は同年十一月、「県民平和大集会」のステージに立ち
「シェルターにばかり逃げていたら勉強もできない。仕事もできない」
と訴えた。
北朝鮮から発射されたミサイルが沖縄県の上空を通過し
全国瞬時警報システム(Jアラート)が発令された二日後に、である。
政府が中国の武力攻撃による台湾有事も念頭に
シェルターの整備に乗り出す中、知事のこのような言動に
有事の際に県は何ができるのか不安感を抱いた県民も少なくないはずだ。
それだけではない。
六年六月三日、熊本市内で開かれた九州地方知事会議に
玉城氏は出席しなかった。
この日は単なるセレモニーではない。
台湾有事をにらんだ沖縄県・先島諸島五市町村の
九州・山口への避難計画を巡り、政府が受け入れ先となる
各県に担当する市町村の案を示す場だった。
沖縄県からは玉城氏に代わり、池田竹州副知事が代理出席していた。
ではこの日、玉城氏はどこで何をしていたのか。
何と沖縄市内で開催された県議選立候補予定者の
合同演説会に顔を出していたのだ。
公務より告示前の自派候補の応援を優先させたと言われてもやむを得まい。
県議選では、南西諸島地域の防衛体制を強化する自衛隊の
「南西シフト」の争点化を図る動きもあったが、浸透しなかった。
文武に秀でた江戸時代の肥前国平戸藩主、松浦静山の言葉を借りれば
まさに「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」。
プロ野球の名将、野村克也氏の座右の銘としても広く知られる格言だが
知事派が負けたのは何ら不思議もないことと言える。
別の敗因も指摘されている。候補者調整と「票割り」の失敗だ。
県政与党同士で票を奪い合ってしまったという戦略ミスだ。
計十九人が立候補した那覇市・南部離島区(定数十一)では
社民の新人候補が、立民の公認を得た社民現職の
後継候補と競合したことで共倒れし、苦杯をなめあうことになった。
候補者を一本化できていれば勝てた可能性は十分にあった。
また、五人が立候補した島尻・南城市選挙区(定数四)で
共産の現職候補一人が落選しているが
四位当選の自民新人候補との得票差はわずか四百二十八票。
オール沖縄勢力である沖縄社会大衆党の新人候補は
一万四千九百五十票と、二位の自民候補と四千票近くも
差をつけてトップ当選していただけに
この候補が票を取りすぎなければ共産現職の落選はなかったとみられている。
加えて、政策面の迷走も指摘しなければならない。
告示(六月七日)を直前に控えた五月二十四日
玉城知事は中学校の給食費を無償化した市町村に対し
県が負担額の半分を補助する支援事業を実施すると唐突に発表した。
これは無償化する自治体のみが対象となる制度だったが
事前に各市町村との調整がなかったため自治体から
「市町村間の格差を生む」と反発を招き、告示後の六月十三日になって
県教育庁が対象を全市町村にする方針を示した。
反知事派の候補者からは「明らかな選挙対策だ」
といった批判の声が上がった。
無論、政策の修正は選挙戦とは別に決定されたと信じるが
仮に「選挙対策」であったとしても、完全に裏目に出てしまった形だ。
「勝ちに不思議の勝ちあり」
一方、反知事派の大勝を事前に想定していた県政関係者は
筆者が取材する限り皆無だった。
元航空自衛官で自民党那覇市議の大山孝夫氏は
「自公の勝利ではなく、玉城県政の敗北という方が表現として適切だ」
と指摘する。
別の自民党関係者も「当落線上の候補は
県内大手の建設業者がテコ入れしたが
公認候補全員の当選は予想外だった」
と振り返る。
あえて「勝因」を挙げるとすれば、次のようなものがあるだろう。
一つは政党色を抑えた選挙戦の展開だ。
「いらぬ風を吹かせられたら困る。こちらから来ないでくれと申し入れをした」
ある自民県連関係者はこう明かしたように
派閥政治資金パーティー収入不記載事件を受けた
批判の波及を避けるため、党幹部による街頭演説を控える
「ステルス作戦」を徹底した。
小渕優子・党選挙対策委員長は告示前に沖縄入りし
県内の党支部関係者らを集めた対策会議に出席しているが
表立った活動は避けている。
もう一つは党幹部だけでなく、辺野古すらも
〝隠した〟ことだ。
「辺野古反対」で結束を固めようとした
「オール沖縄」勢力とは対照的に、反知事派の筆頭である自民党は
「争点にする時期は終わった」(県連幹部)として積極的な言及を避けた。
地元住民はすでに振興や補償を求める条件付きで
移設を容認しているうえ、国との法廷闘争も
県の敗訴で決着がついているというのが理由だ。
公明党県本部は「基地問題は司法の場では解決が難しい」
(関係者)として、党本部のスタンスとは異なり
辺野古移設には反対の姿勢を貫いているものの
争点化を図る姿勢はみせなかった。
実際、代執行を経て辺野古移設工事が再開されたことで
「辺野古阻止」の機運はしぼんでおり
反対論が強い訴求力を持っていたこれまでの雰囲気とは
全く異なる状況だった。
うるま市のゴルフ場跡地に陸上自衛隊の訓練場を新設する計画で
「オール沖縄」の突出を防いだことも理由に挙げられよう。
選挙戦を控えた三月議会で、知事派・反知事派にかかわらず
全会一致で計画の白紙撤回を求める意見書を通過させた。
自民側は「陸自の訓練場に反対なのではない」(県連幹部)
としながらも、予定地が教育施設や住宅街に隣接すること
などを理由に挙げ、県政与党と歩調を合わせた。
それに加え、自民を中心とした反知事派候補は
政府とのパイプを生かした振興策を掲げた。
代表格は鉄道だ。那覇市は三月、次世代型路面電車(LRT)
を整備する計画の素案を発表。
市政を担う知念覚市長は令和四年の市長選で自公推薦を受け
前沖縄県議会議員でオール沖縄が推薦した翁長氏の次男
雄治氏を破り、初当選している。
こうした政治状況から、LRT計画は決して絵空事ではなく
実現可能性の高いものだと受け止められつつある。
加えて、人気の観光地が点在する本島北部の玄関口
名護市と、経済社会の中心地である南部の
県都・那覇市を約一時間で結ぶ「沖縄鉄軌道計画」もある。
県内でも経済発展が遅れている本島北部振興の切り札として期待されるが
採算面での課題があるうえ、「(オール沖縄系の玉城氏が知事を務める)
今の県と国の関係では無理」(地元財界関係者)と諦めムードが漂っていた。
こうした閉塞感を打ち破る局面転換への期待が
反知事系候補への得票につながった側面もあろう。
勢い強める反知事派
勢いに乗る反知事派が見据えるのは県政の奪還
つまり二年後の次期知事選だ。
沖縄で圧倒的な知名度を誇る玉城氏に対抗し得る
「タマ(候補者)がない」との声も聞かれるが
県議選によって、玉城氏の思い通りに
県政を運営できなくなったことだけは確かだ。
実際、新たな構成となった県議会では
攻勢を強めている。
辺野古移設に牛歩で抗議していた女性を
制止した警備員が死亡した痛ましい事故に関連し
自民党会派は、港湾を利用する事業者側が
道路を管理する県に「抗議者が事故に巻き込まれないよう
ガードレールを設置してほしい」
と何度も要請していたと明らかにし
玉城氏もこうした要請を把握していたと追及した。
事業者側は自ら費用負担し、設置を申し出たが
県は「歩行者の横断を制限することになる」として認めなかった。
さらに「大型車両の往来を妨害する行為」が
県条例の禁止行為に該当すると明記した警告看板も
設置から約二カ月半で撤去していたことも明らかになった。
玉城県政の不作為を追及し、追い込みを強める。
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resource
https://www.asahi.com/articles/ASS6K3SLYS6KTPOB004M.html
https://www.sankei.com/article/20240811-VNTIUPMGRFETHFDOYOXC3U6LSI/?outputType=theme_monthly-seiron
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